休日のレジャーにもってこい!京都市にあるファミリー向けの公園を紹介
京都市は大阪まで電車で約30分。大都市へのアクセスの良さを備えながら、豊かな自然と世界遺産を含む文化的な施設がたくさんあり、毎日たくさんの人が訪れます。観光都市というイメージが強い京都市ですが、実は家族向けのお出かけスポットも盛りだくさん。子供が思い切り走り回れる広場や、動物園に水族館など、家族みんなで楽しい休日を過ごせます。
今回はそんな京都市に焦点を当てて、気軽に利用できるファミリー向けの公園をいくつかご紹介します。
身体をいっぱい動かして遊ぶなら「梅小路公園」
JR京都駅から山陰本線に乗って1駅のところにある「梅小路公園」。京都市内でもトップレベルの広さである13.7ha(東京ドーム約3個分)の敷地を持ちます。その広さを活かして芝生広場に遊具、河原に森など、様々なエリアを設けているのが特徴。園内にはお手洗いを4カ所、授乳室を1カ所設けているので、小さな子どもを連れて行くときも安心です。レストランも併設しているので、1日中遊べますよ。
公園の西側・JR梅小路京都西駅から公園に入ったところには大型の遊具があります。その高さはなんと6m!ゆらゆら揺れるロープ型のジャングルジムをのぼったり、全長14mの滑り台をすべったりと子どものワクワク感を刺激しながら遊ぶことが可能です。公園の東側・大宮通りから入場すると、目の前には青々とした芝生の広場が広がっています。バトミントンや鬼ごっこで身体をいっぱい動かすのはもちろん、木陰を見つけて寝転がって小休憩するのにもおすすめです。
また公園内には、レストランが3カ所併設されています。ファミリーにぜひ利用してほしいのが「市電カフェ」。明治から昭和にかけて京都市内を走っていた市内電車の車両を改装したレトロなカフェで、車窓から公園を眺めながらソフトクリームやつり革の形をイメージしたパンを食べられます。つり革や一部のソファは当時のものをそっくり再現しているので、子どもはもちろん大人も楽しめるのが魅力です。
ほかにも京野菜を使った料理を振る舞っている「京野菜レストラン梅小路公園」と、ピザやお子様プレートなどのテイクアウトにも対応している「梅小路パークカフェ」があるので、ランチを挟んで1日中公園に滞在できます。
さらに梅小路公園は、周辺の観光施設も見逃せません。敷地内には京都水族館が建っていて、海や川で泳いでいる生き物を間近で見ることができます。迫力満点の大ジャンプを見られるイルカショーは、盛り上がること間違いなし。京都ならではの、水槽の前で舞妓さんとツーショットを撮れるイベントも開催しているので特別な思い出になります。
公園の西側には、歴代の機関車と列車を展示している京都鉄道博物館もあります。約180度の扇形の車庫は、明治から昭和にかけて実際に走っていた機関車がずらりとならんでいて迫力満点!本物の車両や部品を観ながら鉄道の歴史を学ぶほか、本物の蒸気機関車に乗ることもできます。梅小路公園と合わせて、周辺の観光スポットも利用してみてください。
のんびりピクニックを楽しむなら「嵐山公園」
京都市の一大観光スポットである嵐山周辺にも、「嵐山公園」というファミリー向けの公園があります。最寄り駅が阪急嵐山駅・京福嵐山駅・JR嵯峨嵐山駅の3カ所もあり、京都市内に住んでいるならどこからでもアクセスしやすいのが魅力。百人一首の和歌にも詠まれた風光明媚な景観を眺めながら、のんびりと過ごせます。
中之島地区・亀山地区・臨川寺地区の3つに分かれているのが特徴。子ども連れにおすすめなのは、中之島地区と亀山地区です。
中之島地区は、桂川の中に島のような形で位置するエリアです。渡月橋と桂川を端から端まで一望でき、開放感があります。ごうごうと音を立てながら流れていく川の様子に、大人も子どもも目を奪われるでしょう。川辺にはベンチや屋根付きの休憩所も併設されているので、近くのお店で料理を買い込んで小休憩することも可能です。周辺の建物は昔ながらの外装で、古き良き日本の情緒がたっぷり。桂川の本流の反対側には支流も流れており、アーチ状の小さな橋は記念撮影にもぴったりです。
亀山地区は、桂川沿いに広がるエリア。桜と紅葉の木が植えられていて、春はお花見、夏は新緑で納涼、秋は紅葉狩りを楽しめます。四季の移ろいを感じられる木や植物がたくさんあり、ちょっとした冒険のような感覚を堪能することが可能。遊歩道も整備してあるので、ベビーカーを押して歩くときも安心です。
亀山地区にもベンチと休憩所があるので、ピクニックにはもってこい!豊かな自然と爽やかな空気に包まれながらの食事は格別です。ただし猿や鹿など、野生の動物が出没することも。動物には食べ物を渡さず、ゆっくりと離れるよう注意してください。
また桂川の近くに行くと、屋形船や鵜飼の船が航行していることもあります。子どもと一緒に手を振ると、手を振り返してくれるかもしれませんよ。
公園で見かけた屋形船は、近くにある嵐山通船の船乗り場から乗ることもできます。屋形船の遊覧船は、プロの漕ぎ手に船を漕いでもらえます。川の中の様子を覗いてみたり、雄大な嵐山の景色に圧倒されたりと、レジャーの特別な記憶に残るでしょう。子どもが少し大きくなったら、3人乗りのレンタルボートを利用するのもおすすめ。アウトドア体験ができるのも嵐山公園の特長の1つです。
家族で過ごす休日にぴったりの公園がある京都市
街の中心部から少し足を延ばすだけで、週末レジャーを楽しめるスポットがある京都市。子どもはもちろん大人も楽しめる要素があるからこそ、どんどんお出かけしたくなります。日本の歴史や伝統的な文化に気軽に触れられるのも、京都市に住んでいる人の特権と言えるでしょう。関西圏への引っ越しを考えている方は、ぜひ京都市への在住も検討してみてください。
ゆふいんの森の乗り方・料金・予約方法を解説|バカンス気分で温泉旅行へ!
福岡県の博多駅から、大分県の由布院駅もしくは別府駅までをつなぐ「ゆふいんの森」。
座り心地の良いシートに座って、大分グルメに舌鼓を打ったり雄大な自然を鑑賞したりしながら目的地に到着するまでぜいたくな時間を過ごせる観光列車です。
本記事ではゆふいんの森の時刻表・料金・予約方法などの基本情報や、ゆふいんの森ならではの魅力と楽しみ方を紹介します。
※本記事は2022年5月時点の情報をもとに作成しております。詳しくは公式サイトをご確認ください。
ゆふいんの森の基本情報
ゆふいんの森は、博多駅から大分県内にある温泉地へのアクセスに便利な特急列車です。
高級感のある内装で、現地に到着する前からリゾート気分を満喫できるのが魅力。ここでは、ゆふいんの森の運行区間・時刻表・料金・座席・予約方法について解説します。
運行区間:JR博多駅~JR由布院駅もしくはJR別府駅
ゆふいんの森は、博多駅から、大分県の温泉地の最寄り駅である由布院駅もしくは別府駅まで運行しています。
由布院駅には全便とも停車するのですが、別府駅まで行けるのは1日1便のみです。
別府温泉まで行きたい方は、乗車する便を間違えないように注意しましょう。
中部地方や東日本などに住んでおり、飛行機に乗らないと福岡県を訪れるのが難しい方もご安心を。
福岡空港と博多駅は地下鉄で2駅しか離れていないため、遠方から訪れる方もゆふいんの森を気軽に利用できます。
時刻表:上り・下りともに1日3便運行している
博多駅から由布院駅へ向かう便は、9:24発・10:24発・14:35発の1日3便。
このうち別府駅でも停車するのは10:24発の便です。
由布院駅までの所要時間は約2時間13分のため、午前中に博多駅を出発する便に乗ると昼食は現地で食べられます。
別府駅までの所要時間は約3時間13分です。
由布院駅から博多駅へ戻る便は12:08発・15:50発・17:07発で、便によっては午前中も温泉巡りができます。
別府駅から乗車する場合は、14:41発の便を利用してみてください。
料金:通常の切符なら大人1人3410円~
ゆふいんの森の切符の料金は、乗車する区間によって変化します。
博多駅から日田駅までの料金は大人1人につき3410円、博多駅から由布院駅までの料金は大人1人につき5190円です。
年末年始やゴールデンウイーク、子どもの夏休み期間などの繁忙期はさらに200円加算されます。
お得に旅行したい方は、由布院駅までの往復割引切符「ゆふいんのんびりきっぷ」と、ネット限定販売の「九州ネットきっぷ」は要チェック。
通常の切符を利用するより、往復合計で2000円ほど安くなります。
座席:全席指定で確実に座れる
ゆふいんの森は全席指定のため、確実に座れるのが魅力。
2人掛け4列シートがメインで、2号車には3~4人掛けのテーブル付きボックスシートもあります。
大型の荷物を収納できるスペースもあるため、スーツケースを持っていても座席では気にせず快適に過ごすことが可能です。
予約方法:駅の窓口かネットで予約しよう
ゆふいんの森は、駅の窓口もしくはインターネットから予約できます。
予約できる時期は、乗車日の1カ月前からです。
特に繁忙期は混雑が予想されるため、早めの予約がおすすめ。
インターネットからの予約だと、ネット予約限定の割引切符を利用することが可能です。
往復割引切符の「ゆふいんのんびりきっぷ」もネット予約限定のため、ぜひチェックしてみてください。
ゆふいんの森ならではの魅力
1日3便、博多駅から由布院駅もしくは別府駅まで運行しているゆふいんの森。
「観光列車」と銘打っているだけあって、普通の特急列車にはない特色が盛りだくさんです。
ここではゆふいんの森のならではの魅力を、景色・グルメ・内装の3つの視点から紹介します。
車窓から見える大分の雄大な自然
ゆふいんの森はどの車両も窓が大きいため、大分の雄大な自然を遮るものなしで楽しめるのが魅力の1つ。
特に天ヶ瀬駅近くの「慈恩の滝」と、由布院駅の手前から見える「由布岳」は要チェックです。
慈恩の滝は落差約30mの二段滝で、うっそうとした森林の中から大量の水が流れ出てくる姿は圧巻!
由布岳は標高1584mもあり、車窓からは山頂が東岳と西岳に分かれているのがよく見えます。
電車に乗っているとあっという間に通り過ぎてしまうので、シャッターチャンスを逃さないようにしましょう。
h3:事前予約限定! 大分の食材をふんだんに使ったお弁当
ゆふいんの森では事前予約をしておくと、大分グルメがギュッと詰まったお弁当を食べられます。
メニューは炊き込みご飯と大分産の野菜を食べられる「ゆふいんの森弁当」、小さなおにぎりが4つ入った「ゆふいんわっぱ」、厚切りのおおいた和牛を敷き詰めた「百年の恵み 牛華絢爛」です。
予約はゆふいんの森公式HPに掲載している専用の電話番号からできます。
切符の購入とは別で予約が必要なため、注意しておきましょう。
予約できるのは乗車予定日の1カ月前~2日前までの平日です。
木目調の内装でリゾート気分を堪能できる
ゆふいんの森の内装は、ヨーロッパの高原リゾートをイメージしています。
ぬくもりのある木目調の床板の上にふかふかのシートをゆったりと配置しており、リラックスムードが漂うのが魅力。
手荷物置きや照明の色はゴールド系で、高級感があります。
車窓はとても大きく、周囲の景色を遠くまで見渡すことが可能です。
広々としたシートにゆったりと腰掛けながら、リゾート気分で列車の旅を楽しめます。
ゆふいんの森に乗るときの楽しみ方
内装や料理にこだわっており、由布院駅まで約2時間13分の乗車時間が短く感じられるゆふいんの森。
座るだけになりやすい電車の旅を充実させる工夫を、車内にはたくさん散りばめています。
ここではゆふいんの森に乗るときの楽しみ方を3つ紹介するので、旅行計画を立てる際はぜひ参考にしてみてください。
車内を隅々まで探検
ゆふいんの森は座席だけでなく、ビュッフェやフリースペース、1号車と4号車には展望席も併設しており、乗車した人は全ての施設を利用できます。
フリースペースには乗務員の方が大分旅行のおすすめスポットを紹介するコーナーがあるため、名所や穴場を知りたい方は要チェックです。
車内をぐるりと探検してビュッフェで軽食を購入したり、どんどん通り過ぎていく景色を展望席から眺めたり、自分だけの楽しみ方を見つけてみてください。
ふかふかのシートに座って地ビールを飲む
ゆふいんの森では、2号車にあるビュッフェで大分県の地ビールやおつまみを販売しています。
お酒好きの方は、ふかふかのシートに座って地ビールを飲みながら列車の旅を楽しんでみてください。
地ビールの「ゆふいん麦酒」は、しっかりとした麦芽の味わいとフルーティーな風味が特徴です。
お酒が苦手な方には、大分県日田市から届いた柚子みつを使った「ゆずみつスカッシュ」がおすすめ。
大分の地鶏で作ったソーセージや炭火焼きなどのおつまみも合わせてぜいたくな時間を過ごしましょう!
子供がいるファミリーは記念撮影で思い出づくり
ゆふいんの森の車内では、子供用の制服と日付が入ったオリジナルパネルの貸し出しを行っています。
一生の思い出になるので、子供と一緒に乗車する方は家族みんなで記念撮影をするのがおすすめです。
制服はジャケットを着る車掌さんと、スカーフを巻く客室乗務員さんの2種類があります。
オリジナルパネルは乗務員の方が持って車内を巡回しているため、好きな場所で撮影することが可能です。
ゆふいんの森ならではの、素敵な写真を残しましょう。
ゆふいんの森に乗って温泉旅行へ出かけよう!
内装・グルメ・記念撮影など旅行を楽しめる工夫をたくさん施しており、目的地に到着する前から旅行気分を盛り上げられる観光列車です。
インターネットからの予約だとお得なきっぷを購入できるので、週末のリフレッシュや連休中の家族旅行などでぜひ利用してみてください。
※本記事は2022年5月時点の情報をもとに作成しております。詳しくは公式サイトをご確認ください。
【岐阜県】一位一刀彫とは?特徴・歴史・作り方を紹介
一位一刀彫とは
一位一刀彫とは、岐阜県の飛騨地方で生産されている木工品です。高山市を中心に、飛騨市と下呂市でも作られています。
制作に使用する木材は、イチイの木です。主に茶道具・置物・面を作っており、1975年には通商産業省により伝統的工芸品に登録されました。
特徴
一位一刀彫の特徴は、彫りだした作品に装飾や彩色を施さず、木目の美しさを活かしているところ。木材選びの段階で、木目や色味をじっくりと吟味するのが一位一刀彫の特色の秘訣です。
かつては天皇即位の際にイチイの木で作った笏(しゃく)を献上したところ、ほかの素材で作ったものより美しいと評価され、最高位の正一位の位を与えられたエピソードも残っています。
イチイの木には赤太(あかた)と白太(しろた)の2種類の色調があり、時間が経つにつれて色味は茶褐色に変化し、表面には艶が出てきます。一度手に入れると長く楽しめるのも、一位一刀彫の魅力と言えるでしょう。
歴史
一位一刀彫の起源は天平時代に奈良や京都で、社寺の造営に飛騨の職人たちが関わったことです。彫刻の技術を建築に活かしたのが始まりで、高山祭の屋台ではその技術力の高さが伺えます。
江戸時代になると飛騨国の根付彫刻師である松田亮長らが根付の製作に力を入れるようになり、江戸時代後期にかけて急成長。現在は飛騨高山を代表する工芸品として、その地位を確立しています。
作り方
まずはイチイの原木を乾燥させ、木目や色味を吟味し、使用する木材を選びます。次にノコギリやナタを使って下ごしらえをして、大まかな輪郭を作っていきます。
輪郭に沿って作品のイメージを形にしていき、最後まで彫れたら「ロー仕上げ」で表面を磨いて完成です。
まとめ
今回は、一位一刀彫について紹介しました。一位一刀彫は、イチイの木の木目を活かした温かみのある飛騨高山の伝統工芸品です。高山市を中心に飛騨市と下呂市でも作られているので、旅行などで訪れた際はぜひ購入してみてください。
陰陽道とは?神社との関係・陰陽師の仕事・安倍晴明について解説
ゲームや漫画、映画などの題材で、現代を生きる私たちにも聞き馴染みのある「陰陽道」と「陰陽師」。不思議な術を使い、妖を祓ったり、怪しい出来事を解決したりするイメージを持つ方は多いのではないでしょうか。
しかし現実の陰陽師は、宮廷に仕えたり貴族に雇われたりしながら、物事の吉凶を占う役割を担っていたようです。特に安倍晴明が活躍した頃は、陰陽師の仕事は国の政治を左右するほど重要なものでした。
明治時代に入り、新政府の政策の影響で表舞台から消えることになりましたが、現在も陰陽道の名残は残っています。この記事では、そんな陰陽道・陰陽師について紹介します。
陰陽道・陰陽師について
そもそも、陰陽師が占術を行うときの基になった陰陽道とはどのような思想・学問だったのでしょうか。ここでは陰陽道の発生・伝来・考え方、陰陽師の仕事、現在も残っている陰陽道と関係のある行事について紹介します。
発生と伝来
陰陽道は古代中国で発生し、朝鮮半島を経由して日本に伝わりました。『日本書紀』によると、日本に陰陽道が初めて伝わったのは531年。五行博士の段楊爾(だんように)が朝鮮半島にあった百済という国からやって来たのがきっかけです。
その3年後には段楊爾と交代する形で、同じく五行博士の漢高安茂(あやのこうあんも)も日本を訪れました。推古天皇の時代には、百済の僧・観勒が日本の書生3、4人に陰陽道について教えていたそうです。
陰陽道の教えは次第に国家規模の事業や政治にも反映されるようになり、聖徳太子の冠位十二階や十七条憲法の制定、国史の編纂事業にも取り入れられました。平安時代になると公家の日常生活にまで影響を与えるほど浸透して全盛期を迎え、陰陽師で有名な安倍晴明もこの時代に活躍します。
陰陽道の考え方と陰陽五行説との関係
古代中国では、この世のものはすべて「陰」と「陽」の、相反する2つの要素に分けることができると考えられていました。例えば、月は「陰」で太陽は「陽」、黒は「陰」で白は「陽」という感じです。ただし、正反対な性質を持つ2つの要素は完全に分離しているわけではなく、お互いに影響し合いながらグルグルと循環しているとも解釈されていました。
しかし、時代が下るにつれ問題が発生するようになります。技術や体制の発展によって世の中が複雑化してしまい、「陰」と「陽」の2つだけでは説明がつかない場面が増えてきたのです。
そこで生まれたのが、「木・火・土・金・水」の5つの要素が世界を構築するという考え方の「五行説」。前3世紀〜後3世紀の漢の時代に2つの教えが交わり、「陰陽五行説」が成立しました。
陰陽師はどんな仕事をしていたの?
陰陽師の仕事は国政の手助けや暦の作成、祭祀・お祓いの実施など多岐にわたります。特に国政の手助けでは次のような仕事をしていました。
- 国家規模の災害や怪異が発生したときの原因究明
- 気象や天文の観察
災害や怪異発生の原因究明といっても、実際に現場で捜査するのではなく、占いで原因を解明する役割を担っていました。また、陰陽道では日食・月食・彗星など空の様子が普段と異なる時期は、国のトップが政治に失敗するサインだと解釈するため、常に気象や天文を観察していました。
暦の作成では、それぞれの日にちのマス目に干支・禁忌・吉凶などを書き込み、1年分の暦を毎年天皇や役所に提出します。祭祀・お祓いでは病の退散・安産祈願・呪詛・穢れの払拭などを行いました。祭祀・お祓いには国家規模から個人的なものまであり、貴族の中にはお抱えの陰陽師を雇う人もいたそうです。
現在も陰陽道ゆかりの行事が残っている
明治政府によって陰陽師の活動が大きく制限され、「陰陽師」という職業はあまり耳にしなくなりましたが、現在も陰陽道ゆかりの行事が残っています。有名なものだと、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句などの五節句です。陰陽道において奇数は「陽」の数字とされているため、重要な節目の日だといえます。
日本を代表する陰陽師「安倍晴明」ってどんな人?
安倍晴明は921年に生まれ、平安時代中期に活躍した陰陽師です。超人的な逸話のイメージが強く、魔術師のような印象を抱いている人もいるのではないでしょうか。しかし実際は、宮廷に仕えるかなり優秀な官人だったようです。ここでは、安倍晴明の生涯と伝説、晴明ゆかりの晴明神社について解説します。
生涯
清明の系譜ははっきりとしていませんが、記録によると大膳大夫・安倍益材の子、あるいは淡路守・安倍春材の子と伝わっています。当時陰陽師の一大派閥であった、加茂氏の忠行・保憲親子に、陰陽師の仕事で重要な学問である「天文道」を学びました。清明が陰陽師になったのは41歳の頃で、当時としては遅めの出世だといえます。
52歳で天文博士になり、75歳になると天文道で培った計算能力が評価され、国の財政をつかさどる役所の長官に任命されました。重要なポジションを歴任した清明は、天皇家や藤原家の信頼を獲得し、80歳で陰陽師では異例の出世と言える従四位下の位を賜ります。その後も雨乞いの儀式を行うなど陰陽師として活動し、85歳で亡くなりました。
伝説
「安倍清明」と聞くと不思議な現象を起こせる魔術師のようなイメージを持ちやすいですが、生涯を振り返ってみると宮廷の官人として働いていたことがわかりました。現代の会社員と同じように、職場で缶詰めになって仕事をしていたのかもしれませんね。しかし、あまりにも優秀だったため、超人的な伝説がたくさん残っています。
清明神社について
安倍晴明ゆかりの神社である晴明神社。晴明の屋敷が建っていた場所に、晴明が亡くなった2年後の1007年に創建されました。ご利益は「魔除け」と「厄除け」で、陰陽師として活躍していた晴明らしさが伺えます。
もともとの境内はかなり広大でしたが、応仁の乱・豊臣秀吉による都の区画整理・度重なる戦災などの影響で、現在のこぢんまりとした神社になりました。あちこちに五芒星のマークや晴明・陰陽道ゆかりの像が置かれています。6月中旬から初夏にかけて見ごろを迎える、社紋のモチーフになった桔梗の花は必見ですよ。
神社で見られる陰陽道の影響
初詣・縁結び・厄除けなど、現在の私たちの生活にも馴染みのある神社。実は、境内を見渡してみると陰陽道とのつながりを伺えるものがたくさんあります。今回紹介するのは、狛犬と絵馬について。連想ゲームのような感覚で陰陽道と関連付けているのが興味深いポイントです。
狛犬の表情と配置
神社の入り口には、口を開いた「阿形」と口を閉じた「吽形」が、左右一対になるように配置されていますよね。この表情の違いが、陰陽道と関係があると言われています。
「阿」は物事の始まりを表し、「吽」は物事の終わりを表します。これを陰陽道に置き換えると「阿=始=開=陽」、「吽=終=閉=陰」のように連想されるのです。そして陰陽道では、「陰」と「陽」はお互いに影響し合いながら循環すると考えられているため、入り口の左右に阿形と吽形を置くことは、その考え方を表しているといえます。
絵馬に描かれている馬の色
現在は様々な絵柄の絵馬がありますが、昔は赤馬・白馬・黒馬のいずれかを描いたものが主流でした。「なぜ赤・白・黒の馬なのか?」というと、陰陽道の考え方が反映されている方です。
絵馬を使う習慣がなかった時代は、雨乞いや長雨の祈祷の際、神様の乗り物である本物の馬を神社に奉納していました。その際陰陽道の教えの基づいて、雨乞いの祈祷をするときは「雨=水=黒」を連想して黒い馬を、長雨の祈祷をするときは「太陽=火=赤」を連想して赤あるいは白い馬を奉納していたのです。
今はお祈りする目的に合わせて絵馬の柄を使い分けることはほとんどありませんが、一昔前まではその名残が見られたといえるでしょう。
まとめ
- 陰陽道は古代中国で発生し、朝鮮半島を経由して日本に伝わった
- 陰陽師の仕事は政治への助言や暦の作成、祭祀・お祓いの実施など
- 陰陽道の教えは現在の五節句にも反映されている
- 安倍晴明は宮廷に仕える官人だった
- 神社では狛犬や絵馬などに陰陽道の思想が伺える
今回は、陰陽道・安倍晴明・神社と陰陽道のつながりについて紹介しました。陰陽道の考え方は、「陰」「陽」や五行などと関連付けながら、現在も身近な所に残っています。カレンダーや近所の神社にちょっと目を向けて、陰陽道の面影を感じてみてください。